若者達と出会った夏

日本からやって来た熟年男性陸鯨が、バンクーバーで出会った人々や「おやっ」っと思って振り向いたこと「あれっ」と思って気付いたことなどを綴るコーナーです。


 バンクーバーに来て以来親しくしているカネちゃんとヨーちゃんの発案で「移住者」「学生」「ワーホリ」に呼びかけてソフトボールチームを作ったと聞いたのは7月の初め。毎週末、練習しているというので買い物帰りに立ち寄った。プライア通りのストラスコナ公園が練習場所。観客席に座ったとき、内野の守備練習の真っ最中だった。
 
かなり不安な寄せ集めチーム

監督カネちゃんがシートノックをしていた。ガッツのあるトビは機敏にいい球さばきをしていたが「イレギュラー」のボールを顔面に受けてしまった。みんな球を捕るのが精一杯。腰が高くてエラーが続出した。グラブに入ってもはじいてしまう。一塁のダイジュは、3メートルも飛び上がらなければ捕れないような暴投も多かった。みんな久しぶりにボールを握るせいか制球に苦しんでいた。だが、私は楽しんでいた。プレーの上手下手より20名以上もの若者がソフトボールのために集まったことに意義がある。珍プレー、失敗、小さなケガがあるところに笑いと思いやり、寛容な心も見え隠れする。監督カネちゃんは「勝つチームを作ることが目的ではない。カナダで楽しんで何かをしたという成就感を持てればいいのではないか」と考えている。
 7月から8月にかけて他の日系チームとの練習試合があった。5対4で負けた初戦はとてもいい内容だった。負けても次につなげてやろうという気迫がみなぎっていた。39対3の時は完璧にねじ伏せられて「今までの練習はなんだったの?」という、選手も応援団も気落ちした試合だった。 
 その後の試合では攻守でノリとヤスハルが交互に華麗なプレーを見せてくれた。応援席が沸いた。女性たちの声援も名指し、手拍子も入る。“○○もおだてりゃ木に登る”というが、その後からのプレーが変わる。内・外野とも球をしっかり見て、猟犬のように打球を追うようになった。
 その頃、熱心な練習でめきめき上達したヒデがビザの期限切れで大会前に帰国した。無口だったが温厚な笑顔のいい青年だった。

日系ソフトボール大会に出場!

 9月に入って、日系のソフトボール大会に出場した。「ひょっとして勝てるかな?決勝トーナメントに残れるかも?」という淡い期待を胸に試合に臨んだ。だが、ゾウに立ち向かうライオンのようだった。壁は厚かったがライオンも食いついた。長い鼻で持ち上げられ、グランドにたたきつけられても起きあがった。最後は太い足で踏まれてコールドゲーム。応援団もすっかり声が嗄れてしまった。
 
つわものどもの夢のあと

声がかれるまで叫び続けた応援団
戦いが終わって日が暮れてきた。みんな腹が空いてた。30数人がレストランの二階を借り切って5時半から飲み始めた。ピッチャーが次々空になる。酔いは早かった。店のマネージャーから「騒がしいので静かにして欲しい」と苦情が来た時、突然ワーホリのダイジュが立ち上がって鼻をこすりながら何かしゃべり始めた。
「チームの皆さん!優しくしてくれてありがとう。ボクは日本に戻ってもみんなのこと、決して…忘れません…」といって次々に出てくる涙を拭って手を合わせ、頭を深々と下げた。終わった後のビールがうまいから参加しているといっていた、マイペースな青年だった。応援団のイトコちゃんも、投手のQちゃんも目が潤んでいた。他のテーブルでもダイジュの途切れがちな話を神妙に聞く仲間たちがいた。
 来年春までに今夜の若者たちの3分の2が日本に戻る。この日までの若者たちとの語らいの中から自ら離婚したこと、婚約破棄のこと、失業のことなどを話してくれた。みんな“苦い思い”をぶら下げてこの国に来ていたのだ。移住者もまた老いてゆく日本にいる父や母のことを気遣っていた。学生のヤスハルは「英語の勉強だけでなく日本語で心おきなく語れる仲間に出会ったこと、何かをしたという実感が持てたこと、それが良かった」と言った。
 酔い醒ましにブロードウエイのバス停までゆっくり歩いた。フルムーンだろうか。月が笑っていた。落ち葉を踏んだとき夜の冷気を感じた。もう秋なのだ。これまで妻との「2人ぽっち」から「大家族」と過ごしたような3度目の秋だった。

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