イエローナイフでの仕事
冬の間、ソフトボール仲間のトビはオーロラの見える極北の地でガイドをしている。 12月20日ノースウエスト・テリトリーのイエローナイフに出かけて行った。春までオーロラを見に来る日本人観光客の現地ガイドとして働く、という。出発前に夕食を共にした。東京育ち、寒がりのトビ、大丈夫だろうか?出発後にそこがどんなところか旅行関係者に聞いてみた。「そこは北緯62度、オーロラが見える期間の平均気温はマイナス28度、最低気温はマイナス40度以下になります」と。
オーロラ観光の案内書は旅情をそそる言葉であふれていた。“極北の夜空を彩るカーテン、カナダ全土の6分の1を占めるノースウエスト・テリトリー、世界に残された秘境のひとつ、神秘的な炎、オーロラが舞う”。良くできたキャッチフレーズに誘われて旅行者は今夜も“満天にゆらめくヴェール”を眺めて幸福感にひたっているのだろ うか?
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2月3日イエローナイフの夜空を彩るオーロラ |
マイナス30度の体験
北海道は室蘭生まれの夕張育ちだが、そこは今よりず〜っと寒かった。北炭大夕張線の遠幌という町で、急ごしらえのバラック建に住んでいたとき、すき間風がいつも吹き抜けていた。引っ越したころマイナス30度の朝を何度か経験したことがあった。掛け布団の襟が寝息で霜が降りたように白くなっていたし、居間においてた酒がシャーベット状になっていたこともある。正月に御神酒が凍ってトックリが割れて母が「不吉な前兆」と騒いだこともあった。そんな朝は息をするのも鼻の穴が塞がれたようになって妙なものだった。耳や手足が冷え切ったまま暖かい部屋に入ると、数分後に千切れるような痛みがしばらく続く。顔をしかめて耐えなければならなかった。そのころ私の手足はアカギレとシモヤケでいつも痛がゆい思いをしていたものだ。凍傷は何度か経験したことがある。 凍てつく朝、井戸水を汲んで台所の水瓶を満たすのは私の仕事だった。汲んだ後の濡れた手を近くにあった古い荷馬車の車輪に置いた瞬間、手のひらが冷え切った金属に張り付いてしまったのだ。無理に引き離そうとすれば手の皮全体が剥がれてしまう。大声で助けを求めたら近所の人たちが来てくれたが 「こんなことは初めてだ」といって、あれこれ井戸端で考えた末、それぞれの家から持ち寄った湯たんぽのぬるま湯をかけてもらってなんとか引き離してもらった。あとでひどい水ぶくれになって、火傷したときと同じような症状だった。皮がむけて春になってからようやく治りはじめた。手相と指紋は再生すると いうことがず〜っとあとでわかった。
マイナス40度、北洋での取材
道東の釧路でA新聞の記者をしていたころ、漁船の遭難や乗組員の作業事故、海中転落が相次ぐ真冬の北洋を取材したことがあった。そこではタラ底引き船も巡視船もデッキは波しぶきで厚い氷が張り付いていた。ワイヤーもしぶきを浴びて、どんどん氷の固まりが膨らむ。直径10〜20センチにもなると船長の目配せで漁の合間に男たちが木づちを手にして氷落としをする。魚を満載したとき、その作業をおこたると、ちょっとした横波を受けても簡単に転覆してしまうのだ。作業している甲板での体感温度はマイナス40度ぐらい。誰もが海に落ちないように注意深く作業していた。それでも転落事故はおきるのだ。写真を撮るのも甲板員に守られながらやっとモノにした。
ある時、漁船員がデッキから上手に小便をしてるのを見て、まねしたら逆風で顔と衣服に全部かかってしまった。滴はみんな泡状になってカラカラ甲板を転げて海に散ってしまった。何度かしぶきを浴びたカメラは陸に上がって1週間でシャッターが落ちなくなり、レンズもダメになった。
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昭和39年北洋での漁船の曳航と氷落とし |
観光客は飛行機を乗り継いでまるで隣の町に行くようにオーロラを眺めに行くが、そこには厳しい人々の生活があるはずだ。1日や2日の滞在でわかるものではないが、大枚はたいたぶん、想像力を働かせれば見えることもあるはずだ。トビよ、早く帰ってこい!極北での生活者としての君の話を聞いてから、妻と行ってみたい。もう若くはないから、暖かくなってから私たちは行ってみよう。トビよ、1月18日、早咲きの桜を見たぞ……。
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