―出会った学生達― 「学生には時間がいっぱいあって、自由で気ままで好き放題している」とはよく耳にする言葉だが、どこにそんな学生がいるのだろうか。4年間、語学学校に籍を置いて通ってみたが、そんな学生にはトンと出会わなかった。英語圏以外の多くの国から若者達が来ていたけれど、みんな地味だった。よく働き、よく勉強して短期間で目標値に達して、それぞれの国に戻っていった。いつも時間とカネ、テストとレポートに追われているのが学生だ。
―アキラとの出会いー
アキラ・タグチ、ケローナ生まれの日系4世。25歳。文武両道を志してバンクーバーに出てきて4年。カレッジで夜、英文学を学び、週1回剣道場に通っている。あとの時間は学費と生活費を稼ぐために、あちこち移動して歩いている。25歳までに衣料品店の店員、映画のエキストラ、木材やサーフボードの販売、英語のチューター、パブのバーテンダーなどなどを経験した。職種を全てレジュメに書けば、2枚や3枚では収まらない。
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アキラが大好きなおばあちゃんと一緒に |
私にもそんな時代があった。騒然としていた60年代に目標を見失って中退したり、再編入したりもした。その頃のことは思い出したくもない。ほろ苦く、切
ないことがいっぱいあった。ひいきにしてくれた老夫婦の家に、アルバイトの帰りに立ち寄って風呂を湧かしてもらい、汗を流し、下着も洗わせてもらった。
必要な時にカネがなく借りたこともあった。その頃、寮生は麦飯が当たり前だったのに、奥さんは白米のオニギリを作って持たせてくれた。アルバイト先で「幸せだなー」と思いながらパクついたものだ。人の情けが身にしみた。
アキラとの出会いは今年5月、「これからアキラを連れて行くから、洗濯させてくれない?」という娘の電話がきっかけだった。何度か訪ねてきて、私の「パソコンを使わせて下さい」ということもあった。アルバイト先に出すレジュメを作ったり、インターネットでレポートの下調べなどもしていた。寝不足だったり、時にはお腹を空かせていたこともある。アキラの週末は稼ぐためにあるようだ。
日曜日、一緒にビールを飲んで昼食を食べた後、頻繁にアクビをしている。聞けばアルバイト先から夜中に戻って、明け方までレポート書きをしていたという。この日も夕方6時までに店に行く。2時間ほど私の昼寝に合わせて、カウチでゴロ寝。それはまるで60年代の自分を見ているようだった。アキラの無防備な寝姿を見ながら、この青年に、学校を卒業した時の成就、達成した時のあの爽快感を、ぜひ味わってもらいたいと思う。
―両親/アキラ/家族―
アキラは日系3世の父ツトムとアイリッシュ系の母コンスタンスとの間に生まれ、5人兄弟の4番目。長男から3番目まではハジメ(一)、ジロー(二郎)、
サブロー(三郎)と名前をつけたのに、なぜか彼はアキラになってしまった。弟のマモルは、ひ弱で、学校でいじめられることが多かったので、アキラがいつも守り役。
―精神性(spirituality)― アキラには2回、長期間日本で過ごした経験がある。初めは6歳から11歳まで、横浜で家族と共に過ごした。2回目は16歳、高校2年生の時ロータリークラブの交換留学生として1年間、北海道東端の霧多布高校で過ごした。どちらもアキラにとって貴重な自己確認の機会となった。彼は日本にいれば日本人と違うと思い、カナダに戻るとカナダ人とは違うと思う。「僕はナニ人?」という長い間の疑問がこの時、吹っ切れた。
アキラは文学と剣道の話をする時、生き生きする。「迷いやためらい、やましい心を持つとケンプー(剣風)に現れる」と云った。武士道にも惹かれる。剣道と武士道にまたがる精神性を話す時、目が輝いて日本人の顔になる。
アキラは祖母が大好きだ。愛をいっぱい与えられたから、祖母と一緒に撮った写真をいつも大事に持ち歩いている。彼は繊細なロマン派の詩人のようだと思うことがある。キーツを詠み、バイロンを詠む。そして常に自分を高めようとているから堕ちることはない。しかし、また傷付きやすい。それもまた
…アキラはアキラなんだ! |
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