二度目の移住者
『世界を旅する人 尽きない異文化への関心』
 
スザンナは生まれも育ちもブラジルだが、夫のコンスタンチン・スコルスキーは、1948年ドイツ生まれだ。父はエストニア、母はドイツ人。物心がついた頃、両親と列車でアルプス越えをして、イタリアの港から船でリオ・デ・ジャネイロに降り、更にブラジル南 部のポルト・アレグレに着いた。最初の移住は初めての長い長い旅だった。それ以来、旅は人生の一部になっている。旅行した国々は56ヵ国。彼は4つの言 語(英、独、西、葡)を解し、文学、哲学、ノンフィクション、新聞、雑誌も読む。クラシック音楽やオペラをこよなく愛し、ピアノも弾く。絵画、映画、 写真にも造詣が深い。好奇心も旺盛だ。撮ったスライドだけでも8千枚。写真を見れば興味、関心、几帳面さが伝わってくる。切手、絵画、骨董品の目利きでもある。ふたりの異文化への関心はかなりのものだ。
―夫妻との出会い―
 今年3月、日本での1ヶ月の滞在を終えて帰ってくると「今年もバンクーバーに戻りました」というメールが届いていた。毎年渡り鳥のように暖かくなると ブラジルからやって来る。連絡があると落ち合って一緒にレストランで食事をしながら半年の空白を埋めるおしゃべりをする。
 夫妻との出会いは語学学校だった。クラスでスザンナと隣り合わせに座ったのが縁だった。その日のうちに別クラスの夫、コンスタンチンを紹介された。授 業が終わると帰る方向が同じなのでよく一緒に歩いた。
 スザンナと1年間一緒に勉強したが、ラテン系の明るさと、人への分け隔てのない優しさに誰もが好感を持っていた。今も覚えているのは、努力家で遅刻も欠席もない。2週間ごとのテストはいつも満点。また、2000年12月、夫妻が待ち望んでいた投資移民となって身分証を交付された翌朝、よほど嬉し かったのだろう「長い間待ったのよ」と云ってバッグから取り出して私に見せてくれたことだった。
―実業家として―
 コンスタンチンは若い頃、10年以上も土木建設の仕事をし、ロンドンでも働いた経験がある。1972年にポルト・アレグレ市の電気技師養成学校を卒業したが、卒業前から同市で土木建築会社をすでに立ち上げていた。1975年には、海岸リゾート地のバルネリオ・カンボリウーに本拠を移し、不動産も扱った。内外の富裕層に別荘地やコンドミニアムの販売もした。初めの10年間で十分利益をあげた。更に1986年にウルグアイのリゾート地プンタ・デル・エステにも別荘を持ち会社を設立した。旅してもなお余りある利益だった。
 10数年前、同業者の葬儀があった。そこでコンスタンチンは後に妻となる黒髪の若い女性に会った。建築家のスザンナだった。今は仕事上でもふたりはよきパートナーである。顔を見合わせて「互いに愛と尊敬の念は変わりません」と云う。コンスタンチンは紳士である。礼儀をわきまえ、怠惰を嫌う。常に時間と約束を守る。教養に裏打ちされた話題、男っぽい機知とユーモア、大胆かつ繊細、洗練された身のこなしに若いスザンナは惹かれたに違いない。
― カナダライフ―
 夫妻に会った初めの頃、ふたりはいつも旅行をしていた。「レンタカーでロッキーの麓を1週間かけて回って来ました」。時には「アラスカ・クルーズ10日間の旅に行って来ます」と。一体ふたりはいつ仕事をするのだろうといぶかっていた。
 後に分かったのだが、夫妻にとってカナダでの半年は、多文化の街で、人と出会い、季節の移ろいを感じ、休養と癒しの場になればと思っている。後の半年はカンボリウーに戻って友人や、老いた互いの親と家族を訪問し、疎遠にならないように気を配る。これからは負担にならない程度にビジネスもする、と云う。

先月夫妻が買ったコンドミニアムを私達に見せたいと、家まで迎えに来てくれた。ゲストルームからグラウス・マウンテンがよく見えた。
 夫妻はさりげなく「カンボリウーにもあなた達の部屋がありますよ」と云ってくれた。そこで私もコンスタンチンに「57ヵ国目の旅行に日本行きはどうですか?」と誘ってみた。早晩、お互いの国を訪れる旅ができそうだ。

スザンナ(左) / コンスタンチン(右)夫妻