自然と共存して生活する歓びを見つけて
海波農園経営 菅波任さん / パートナー 海野好子さん

 
 Victoria
 道路は海沿いに遥か彼方へと続いている。バンクーバー島特有の潮風に晒され形を変えた木々を抜け、車も余り通らない郊外の道を、左手遥か彼方にアメリカのオリンピック山を眺めながらドライブする。と、前方にゆらめく陽炎の中に懐かしい日本の光景が浮かび上がった。夏休みの祖母の家。虫取り網に麦藁帽子。思い出に導かれるように、車の震動に身を任せて走り続ける。
 ここはビクトリアから西南へ35q地点にある農業地域 Metchosin。目指すのは、有機栽培の海波農園である。


ファーマーズマーケットで人気の日本種イチゴ
 出迎えてくれたのは経営者の菅波任さんとパートナーの海野好子さん。「道、分からなかったですか。遠いですからね」と素朴に話し掛ける菅波さんに会った途端、日本の農家を訪ねた時のあの何ともいえない懐かしさに包まれた。足元でじゃれ合う子猫を優しく眺めながら「猫が10匹もいます。ネズミを取ってくれるのでね」と海野さんも微笑む。目の前に広がる10エーカーの農地に白いビニールハウスが日に映えてまぶしい。「ここには、湧き水の井戸があるんです。ミネラルを多く含んでいて、作物を育てるのには最高の場所ですね。水量も豊富で、その水で池や用水路も作ったため、土にたっぷり水を染み込むので、水をやらなくても野菜は育ちますよ」と、飄々と話す菅波さんの口からは、難しい化学農薬や、栄養素の単語がぽんぽん飛び出す。まるで化学の先生のよう。「動物を飼っていたら、人間の体のメカニズムもよく分かるようになりますよ」。
 この農園では、一年に50種類以上の野菜を作っている。種はほとんど日本から取り寄せているのだという。毎週土曜日に行われるMoss Street Marketの海波農園のコーナーには長い列ができる。「豊の香のイチゴの苗を持ってきて育てたのですが、やっぱり日本のものは甘味が違う。お一人様1パックしかお分けできないのですが、カナダの人もこのイチゴを買いに並ぶんです」と、地元でも海波農園の果物や野菜は人気の的だ。

世界共通語を通して知った世界
 国鉄(現JR)の鉄道技術研究所で科学技術計算の仕事をしていた菅波さんが、図書館司書の海野さんと知り合ったのは、*エスペラント語を通してだった。福島県出身の菅波さんは、同じ東北出身の宮沢賢治に影響された。海野さんはある科学小説にエスペラント語が出てきたことから興味を持った。二人は国立のエスペラントクラブに通い知り合った。その後、1981年に菅波さんは国鉄を退職し、東京農業大学に入学、1984年に退学し、海野さんと二人で「パスポルタ・セルヴォ」というエスペラント語を学ぶ人のための宿泊無料提供システムを利用して、世界36カ国の旅に出かけた。中国を始めとするアジア諸国、ロシアや東ヨーロッパ、西ヨーロッパなどを一年かけて周った二人は、そこで有機農園の人々と出会った。「エスペラント語を愛好している人たちは、自然嗜好の人が多いんです」。大地と共にゆったりと生きる彼らの姿勢に感銘を受けた。特に気に入ったのがニュージーランドの自然。豊かな国だと思ったそうだ。
 日本に戻った二人は、菅波さんの故郷、福島県いわき市に戻り、祖父の死後、荒れ放題となっていた土地で有機栽培を始めた。「素人ですから、始めは失敗も多かったです」。しかし、元々器用な菅波さんは三年かけて設計した家を大工さんと共に建て、当時は珍しかったソーラー発電装置を作り、自家発電して自給自足の生活を始めた。「ヤギを飼って、そのミルクでチーズを作り、天然酵母のパンを焼いて売りましたよ」。二人は、無農薬のファーマーズ・マーケットの立ち上げにも参加し、充実した毎日を送っていた。
 1985年にビクトリアに住むエスペラント仲間の安村マドカさんを訪ねた二人は、ビクトリアの気候に興味を持った。「好きだったニュージーランドに似ているんです。ここは」。寒い国だとばかり思っていたカナダでも有機栽培ができると確信した二人は、現在、農園のスタッフであるマドカさんに農場の購入を依頼する。「実は二人にビクトリアに来て野菜を作って欲しかったので、有機栽培している友人に会わせたり、帰りに不動産新聞をお土産に渡したんです。それが良かったみたいですね」と話す。「日本の生活には満足していたんですが、もっと広い土地で農業をしたかったし。それに、環境や水の汚染も気になっていたんです」と菅波さん。自然を汚染せず、共存していきたいと願う彼らに、国への拘りはなかったという。

(左上)菅波さん、海野さん、安村さん (右上)福島県いわき市の菅波さんが建てたソーラーハウス(左下)子猫たちは家の周りで無邪気に遊ぶ(右下)今年植えたメロンの収穫時。メロンを一つもいで「初物です!」と嬉しそうな海野さん

海波農園
経営者:菅波任さん、海野好子さん
住 961 Matheson Lake Rd.Victoria, BC V9C 4G9
電 1-250-391-0763

スローライフ?いえ、忙しいですよ
 「でもね。今は日本にいたときより忙しいんですよ」菅波さんの日焼けした顔に笑顔がほころぶ。美味しい野菜を求めて、地元の人たちばかりでなく、バンクーバーからもお客さんはやって来る。「オーガニックですからね。一度にたくさんは作りませんから」と言い切る。そして今、頭を痛めているのは、野生動物たち。毎日のように出没するラクーンは時には鶏を襲う。鳥やマスクラット、クーガー、熊など動物の数だけ悩みの種はある。我が物顔で野菜を食べる鹿は、追い払ってもなかなか逃げないが、フェンスを全てやり直すことで、漸く追い払うことができた。「農園の周りは、まだ自然が色濃く残っています。動物や鳥や昆虫、それに雑草と野草。人間がうかうかしていると、これらに負けてしまいます。これらと共存しながら、なんとか人間の食べ物を育てているんです」と海野さん。同時に、農薬や化学肥料を使わないことで、これらの自然も保護していきたいと考えているのだという。自然に対して真摯であること…それは、人間を尊重することであり、“地球上に生きる全てのものへの尊厳”でもある。
 「今後も、この仕事を続けて、若い後継者を育てていきたい。有機農業に興味のある方、どうぞ体験に来てください」と話す菅波さんは1998年から**COABCの会員でもある。
 海波農園を後にしたのは、太陽が西に傾き始めた頃。採れたての甘いキュウリを頬張りながら、ドライブする海沿いの道。このキュウリの味は、確かに昔食べたことがある味だ。祖母が三時のおやつに出してくれた。そうだ、この道は、祖父母が耕したあの懐かしい日本に海を越えて続いている。そして、その土地は、その向こうにあるまだ見ぬ大地に生活する人々にも繋がっているのかもしれない。バンクーバー島の片隅で世界の人々の暮らしが一つにつながっていくのを感じた。

*エスペラント語 1887年にラザーロ=ルドヴィーコ=ザメンホフによって考案・発表された言語。母語の異なる人々の間で意志疎通のために、共通語として考案された。語彙はラテン・ゲルマン・スラヴ各諸語などヨーロッパの言語をもとにしている。 **COABC Certified Organic Associcions of B.C. BC州のオーガニック認定団体
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